よひらひらひら

自分だけの句を日記代わりに。

紫陽花を見にケーブルカーで八栗寺へ



昨年の今ごろ訪れた、八栗山。

四国八十八ケ所の八十五番札所寺である。

車を使って行くこともできる。

旧遍路道を登って行くこともできる。

ケーブルカーでも、、、

ケーブルカーには、犬が乗ってもよく、慎ちゃんも度々乗った。

ここまで書きながらふーっと思い出した詩があった。




    「ヘルマンヘッセの「独り」という詩。」


地上には 大小の道がたくさん通じている。

   しかし、みな目ざすところは同じだ。


馬で行くことも、車で行くことも

   二人で行くことも 三人で行くこともできる。

だが、最後の一歩は  自分ひとりで歩かねばならない。


だから、どんなにつらいことでも、

    ひとりでするということにまさる

 知恵もなければ、能力もない。


詩を書くつもりのなかった今日の頭の体操だけれど、つい ヘッセの詩を思い出した。


なんと、愚かな私であろうか。

お大師さんと、ヘッセを同じにしたら駄目であるけれど、

根本はおなじではないか。どうして、この詩を長い間忘れていたのだろう。

遍路行はまさに、この詩のとおり。

お大師様と同行二人であるけれど、最後の一歩は独りで歩かなければならぬ。

青春の日の記憶には挫折が幾たびも。この詩を座右の銘にしていたっけ。


幸せでのほほんとしている昨今、ブログを書きながら、

こんなことを考えた。 良かった。過去があって今がある。


今 八栗寺には紫陽花が咲いているだろう。

もうすぐ、菩提樹の花が咲く。

この花を観のがすことはできぬ。

お参りに行かなくっちゃ。