よひらひらひら

自分だけの句を日記代わりに。

冬芽



     

      


   🐢   御手植えの県の木冬芽恙なし     



> これも言葉の経済効率が抜群。「お手植え」の一語で、かつて皇室のどなたかがここを訪れ植樹をなさった木がそこにあることが分かります。さらに植えたモノが「県の木」であるというのが、いかにもお役所的チョイスだなあ~というリアリティ。「冬芽恙なし」という平和で平穏な下五も、この句には絶妙な効果です。



この句も、昨日に続いて 夏井いつきさんの 俳句ポストで 鑑賞文を書いてもらった句である。


今読み返すと、プレバトと少し少し違うか?
いやいや、平明な言葉で、いわゆる情景が素直に映像化されているところは、いつきさんの、いつもおしゃっている事とかわっていない。


冬芽は、少し現在の季節と違うけれど、思い出した時に記しておく。

        


   🐢   蛤やはらから集ふ遊山箱    



はらから」には【① 母を同じくする兄弟姉妹。また,一般に兄弟姉妹。 「島にかへる娘二人は-らしく/源おぢ 独歩」 「親族(うがら)-/万葉集 460」 ②同じ国民。同胞(どうほう)。】と二つの意味がありますが、この句の場合は①ですね。
  「遊山箱」とは【外遊びに弁当などを入れて持参する小型の重箱】のこと。私の生家にも古い遊山箱ありました。小さな二段重ね、さらに小さな三段重ね、引き出しのような五段重ね。それぞれに竹製の上品な取っ手がついていました。一族郎党それを提げて、爺さんの船に乗って、向かいの島へ磯遊びに行くのが、春の楽しみの一つでした。
  掲出句を読んで、あの「遊山箱」に入っていたかもしれない煮蛤をこの目で見たような気持ちになりました。上品な賑やかさ、春らしさが「蛤」という季語を彩ります。


この選評は かの 夏井いつき さんです。
俳句ポスト365で、、、、、
少し、結社と句風が違っていたので、最近は365ともご無沙汰をしている。
が、、、全没が続くと、どうしてここまで真剣に俳句を?と疑問もわく。
それで宗旨替え。
楽しむことにした。所詮遊びじゃございませんか。
いつきちゃん、これからどしどし投稿します。

花曇

     

花曇。養花天。


桜の咲く頃の曇り空。
花の空と白みがかった空が、一体となっている空。


    ☆    をとといもきのふも壬生の花曇    古館曹人


> 壬生という地名が生きている。


    🐇    救急車から見えたる宙や花曇    


認知症の爺に車をぶつけられて、救急車に乗って病院へ。
救急車はどこを走っているのか判らない。天井に近い窓から花曇りの空だけ見えた。


春遅々

   


春遅々。春遅し。遅き春。おそ春。


暦の上では春に入っているにもかかわらず、まだ肌寒く、花の開花も遅れがちなこと。
住む場所によって人々の思いもさまざまと異なる。心象的。


    ☆    春遅々と噴水に透く過密都市    野見山ひふみ


>   北国や、山国とは違う。全き都会に住む人の句。
霞とも朧とも異なる、さあ季語はと考えた時、春は遅いな、林立するビル群が噴水ごしにゆらめいている。



     💐    春遅々と三門に貼る千社札


     💐    春遅し甘酒熱く熱くして



この千社札、松山の検番の綺麗どころの方が貼ったらしい。


遍路 ❶

              


    🐢    目薬をさして遍路の発ちにけり    葉七子


ある結社の「草の花」での、記念大会に投稿をした時の優勝句。
一生の思い出に残る句である。
互選の前に結社の主宰の友人の俳人の選があった。
なぜか、あけ烏主宰の選をいただけなかったが、全員の先生方から選をいただいた。
その頃の「俳句朝日」の編集長をはじめ、なだたる俳人、他の結社の主宰の先生七名全員が選に採って下さった。
その時の記録された用紙を、俳句をやめようと思った時点で捨てたものかどうかもわからない。無くしている。


うろ憶えの先生に(亡くなった今井杏太郎)(黛 執)等々、、、、
記録が無いので書けない。
そうそうたる先生方であった。


そんな思い出の残る大切な一句なのだ。