よひらひらひら

自分だけの句を日記代わりに。

    日短し

          


      🐢     リハビリの輪投げお手玉日の短


 2012年の11月の始めの、能の鑑賞の写真。


この頃、何の病気か忘れているが、整形外科へリハビリに通っていた。
リハビリを受けながら、同じ部屋で老人が輪投げをやったりお手玉を高く揚げる訓練をやっていた。
2012年から俳句の投句を始め、能の鑑賞の前後にフォトアルバムと、同時期の句となる。
実家の旦那寺では毎年、京都から能役者を呼んで、能楽鑑賞会が催される。
最近はこの会に、出席できないでいる。


     🐇     秋の山お手玉たかくあげにけり





    信濃柿

         


       🐇     甕に活けよき枝ぶりや信濃柿


 最近は空き家がいたる所にある。
柿、枇杷、みかん、崩れかけた山家に、季節季節の果実が採る人もなく熟れるままに放置されている。


 つい二~三日前、山道を歩いていると甘い匂がする。
屋根の苔むした家から、熟した柿の実が道の上に落ちそれが匂を発していた。


 信濃柿は実が小ぶりで、おおきな大谷焼きの甕に活けられていた。
自然のままの枝ぶりが小宇宙をなしていた。


    鉦叩

        


     🐢    鉦叩ひとりで聞くはさびしすぎ


 チンチンと草むらで鉦叩きが鳴いている。
決して、集まって鳴く虫ではない。それでいて存在感のある鳴き声である。


 犬の事をすぐ想い出す。
散歩の途中、鉦叩きの音に耳をすましていると、犬は私の足元に座って
「かあさん、どうしたの?」と私を見上げて静かに待っていてくれた。
どうして母さんはこんな淋しい山の辺の道で立ち止まっているんだろう?と小首をかしげたビクターの犬のように。


  

    柿の木

         


        🐇    柿をもぐ実家見えぬか背伸びして


 こんな事を聞いたことがある。
当たるも八卦当たらぬも八卦の占い師が客に、最初必ず
「あなたの家の近くに柿の木があるでしょう?」
占ってもらっている人は、頭の中を近所の柿の木が駆けめぐるそうである。
この近くが くせもの で、すぐ近くか部落の近くの家か?
ともかく、柿の木はどこにでもある木であった。
それで、占い師は先ず最初の質問で、相手を煙にまき、この占い師を当たると思わせることに成功をした。
後は当たるも八卦、、、となる。


柿の木は実家にもあった。今じぶんだと、長い竹の先を伸ばして柿を捥いだ記憶が甦る。
子供の頃は、近所のどの家にも一本や二本はあった。



    芒原

                        


                   🐇      分け入つて空と芒とわたしかな


 二十年も前に詠んだ句。
自分を振り返ってみると、可も無し不可も無し、平凡な人生であった。
鬱かしら、このまま、いつ死んでも良いという、なげやりな感が昨夜はあった。
鬱は怖くもあり、死が怖くない感情になったり便利な病だと単純に思った次第。


 胸が痛い、足が痛い、目が悪い、金欠病、鬱にもなるさ。


深い青空、右も左も薄の原で自分が何と小さな存在かと思い知らされた時に詠んだ。
それだけは確と記憶の底にある。