よひらひらひら

自分だけの句を日記代わりに。

相性


今でも私とお友達。

ラブちゃん。

この犬は、なぜか 死んだ 慎 がお気にいりだったらしい。

慎 を見ると10メートル位先でお座りをして、慎 が近づくのを待っている。

慎 が近くまで行くと、盛んに尻尾を振る。

顔を 慎 に近づけてくる。

なのに、慎 は知らんぷり。

さっさと横をすり抜けて先へ進む。

飼い主の Mさんと いつも

「慎 ちゃんのそっけないこと」と笑いあった。

相性が?

嫌な犬に吠えたりすることもあったのだけれど、ラブちゃんには吠えないけれど、お愛想もしない。

彼の家の近くへ行くと、門が閉まっているのに

近づいて、ウ ウ ウーンと声を出す。

家では放されている ラブちゃんが急いで門の前まで駆けてくる。

すると 慎 はさっと門を離れて、帰る。

いやな行動に出る 慎 であった。


そのラブちゃんに今も散歩の途中に出会う。

ラブちゃんは、10メートル先に足を出して寝転び、私の行くのを待っている。

すり寄ってきて、甘えてくれる。

大きな、ラブラドールであるが、抱きしめたくなる。

慎 の二倍の大きさであった。

慎 が好きだったのか、私が好きなのか、癒されるラブちゃんである。

犬ちゃん  ❶

今だに、よそさん家の犬を見ても、慎 のことを想いだす。

亡くなってもうすぐ二年がくる。


メタボになった、私の体を心配した、医師が、犬でも飼って散歩をしたらと、勧めてくださって、家族の一員となった。

ワイヤーホックステリア。

犬の種類も、その犬の性質も知らずに飼い始めた。

犬の中で最も運動量が激しいらしいと、飼い始めてから、知った。

午前中は夫と一時間の散歩。午后は私と一時間の散歩。

雨、雪、嵐、毎日、散歩は欠かせない。

夫と朝の散歩は、天候によってお休みすることもあった。

しかし、私との散歩は雨が降っていようが、雪道が凍っていようが、三時がくると

「ウ ウ ウー  ウン ワン」

と腹から絞り出すような声をだして、

「さんぽ 散歩 サンポ」とさそいだす。

おかげさまで、メタボの体は、それなりに、、、、改善したとは言えないが、現状維持である。

(持病が沢山あって、人生の大半は病と、持ちつ凭れつ、二人三脚)

慎 のおかげで、亡くなった今も、散歩の習慣がついた。


昨日も散歩の途中で 慎 に良く似た犬に出会った。

近くに寄ると、似てはいるが、少し雑種がまじり、飼い主が、「これこれ吠えるな」と首輪を抑えるのだけれど、私に気を許そうとしない。

それでも、慎 のことを想い出させてくれて、家に帰ると「慎 に似た犬を見かけた」と夫に報告していた。


椿

色々の椿を今年も沢山見た。

これは、お隣の家の椿。

椿の種類は数千にのぼる。

数知れない椿の中で一番好ましくおもうのは、一重の椿。

侘助と呼ばれるのが好きだ。


お隣のこの紅椿は、一輪だけを手にとって見ると、まるで牡丹の花とみまごうばかりである。

幾重にも、花びらが重なり合い、こんもりともりあがっている。

直径は15センチもある、大輪である。

この椿が咲くのを、楽しみにしていた。

今朝、ふっと見ると咲いているではないか。

今日、明日、一週間もすれば、散ってしまう。

椿は散ると、醜い。

赤茶けて、地に還るときは、その辺りは見るも無残になる。

除けて通る。


私の一番古い記憶は椿の花。

大好きだった絵本を小脇に抱えて、座敷の中から、庭に咲いていた、ピンクに赤い筋の入った椿を見ていた。

座敷の障子窓に絵ガラスが組み込まれていた。

皆、若い家族の記憶。

二歳か三歳。瞼に浮かぶ。




木瓜

木瓜の、この薄いピンクが好き。

我が家の朱はもうひとつ。


震災から、五年。

東北の人の苦労はいかほどか。

我が家がこの齢であんな目にあうと、立ち直れないだろう。

ねばり強い東北の方々。

政治がもっと、しっかりと思うけれど、東北だけが、日本でな

いから、政治の難しいところか。


遠い所から、無責任に、云っているだけの、自分が、心の

狭い人間、かっこだけ、いいとこぶっているようにいつも

思う。


ほんとうはブログなんか、書いている場合か、まったく。