よひらひらひら

自分だけの句を日記代わりに。

花 ❶

      

俳句では花と言えば 桜 のこと。
この花を詠むのは大の苦手である。


     🐇    友逝きて心敬と花見てをるか    


友というより尊敬をしていた方。
心敬の研究者であった。
身体があまり健康でなかったようである。
私が俳句を再開することに決心をして、彼の門をたたこうと思った時には、お亡くなりになっていた。
在家の僧侶であった。
癌を患っていたらしい。残念であった。
彼の最後のブログをよむと、心が透明で欲がなく、残っているこの世の人の幸福を心から気にかけていた。


「心敬」
室町中期歌人、連歌師。
心敬の連歌論は中世文学論の代表的なもの。


彼の供養になるかと、時に彼のことを偲び思いだしている。


      🐢    澎湃と谿風に乗り飛び落花

桜餅

        


     🐢    お見舞いの遊山箱より桜餅    


入院をしている時、古い遊山箱を探しだした夫がそれをを下げてやってきた。
自分の食事の自炊がやっとだから遊山箱に入っていたのは、お料理のたぐいではなかった。
あられ、桜餅、ウイスキーボンボン(病人には?しかし私の好物)が少しづつ遊山箱を開くと出てきた。


嬉しかった。病室が華やいだ。


       

普通、遊山箱はこのように、お弁当を入れて磯遊びや、お花見、紅葉狩りのときに使う。
姉妹三人が子供の時にそれぞれの遊山箱に母の手作りの、おいなりさんや巻きずしを三段重ねの重箱に入れ 吉野川の河原に遠出をした想い出がある。
母の味は 巻きずし。
何か祝い事があれば必ず巻きずしだった。


     🍒  桜餅ベートーベンに食はせたし

春の雨

   


       🐇         藁ぐろの地に還りゆく春の雨   


藁ぐろは、秋に刈り取った後の稲を散らばらないように円形、または四角に積み上げた」もの
藁にお、藁塚、として秋の季語になっている。


里山の田圃で見た藁塚が、冬の間もそのままに置かれ、根方は黒く腐り、今まさに春の雨に打たれて、地に溶け込んでゆこうとしているのを見て詠んだ。


春の雨はもう少し、艶っぽい。
「春雨じゃ 濡れてゆこう」
と 月型半平太の芝居の台詞にある。
ほんとうは、私だって、そんな春の雨を詠んでみたいのだ。



「自然と営み」の写真集の中から 河合英清氏の写真を拝借をした。

蛙の目借時

     

蛙の目借時。目借時。


春、暖かくなるととかく眠たい。
蛙の声が聞こえてくる頃になると、うつらうつら、こくっりこっくりと眠たくなる。
俗に蛙に目を借りられるという俳諧味のある季語である。


     ☆    薬飲むための食事よ目借時    平林孝子


> まるで我が家の家の中が覗かれているような句だ。


     🐈    千手持てあます観音目借時    


讃岐 国分寺の空海像と千手観音。

素麺

                  

    
     🐢     青空に風花素麺干す日和 


単に素麺の季語は無い。
冷素麺。素麺冷やす。流し素麺。 夏の季語としてある。最も需要も多い。


しかし、素麺は年中、庶民の食卓を飾る。
春、秋、冬は温麺として我が家の昼の食卓にはよくのぼった。
うどん好きと云うより、麺類は全般に好きである。
(現在は医師や栄養士から、麺類に多い塩分を控えるように注意をうけている)


素麺は、昔から寒に製造をした寒素麺が、美味しいと云われている。
乾燥をした寒い時季に作ると、夏まで成熟させることにより (コシ) のある美味しい素麺になるようだ。


小豆島は素麺作りが盛んである。
昨今は、機械化されて、このように素麺を干す風景も珍しくなった。
それでも、細々と美味しい素麺作りに挑戦をしている素麺家さんが、海からの冷たい風に干す 風物詩 が見ることができる。


(松島博行さんの写真を拝借)