よひらひらひら

自分だけの句を日記代わりに。

    柿の木

         


        🐇    柿をもぐ実家見えぬか背伸びして


 こんな事を聞いたことがある。
当たるも八卦当たらぬも八卦の占い師が客に、最初必ず
「あなたの家の近くに柿の木があるでしょう?」
占ってもらっている人は、頭の中を近所の柿の木が駆けめぐるそうである。
この近くが くせもの で、すぐ近くか部落の近くの家か?
ともかく、柿の木はどこにでもある木であった。
それで、占い師は先ず最初の質問で、相手を煙にまき、この占い師を当たると思わせることに成功をした。
後は当たるも八卦、、、となる。


柿の木は実家にもあった。今じぶんだと、長い竹の先を伸ばして柿を捥いだ記憶が甦る。
子供の頃は、近所のどの家にも一本や二本はあった。

    芒原

                        


                   🐇      分け入つて空と芒とわたしかな


 二十年も前に詠んだ句。
自分を振り返ってみると、可も無し不可も無し、平凡な人生であった。
鬱かしら、このまま、いつ死んでも良いという、なげやりな感が昨夜はあった。
鬱は怖くもあり、死が怖くない感情になったり便利な病だと単純に思った次第。


 胸が痛い、足が痛い、目が悪い、金欠病、鬱にもなるさ。


深い青空、右も左も薄の原で自分が何と小さな存在かと思い知らされた時に詠んだ。
それだけは確と記憶の底にある。

    美男葛

            


                   🐢     玩ぶお手玉のやうさねかづら



   名にし負はば 逢坂山のさねかづら
              人に知られで くるよしもがな  三条右大臣


 栗林公園の茶店に、このさねかづらの棚があり、夏は涼しい陰となり秋には紅い実が揺れていて、訪れた人を楽しませている。


 棚からは、、上記の歌を書いた短冊が吊るされていて、目を止めている人もちらほらと。
真ん丸の実がお手玉のように見えた。

      松手入れ

             


       🐇     枝かへて海正面に松手入れ


 広い栗林公園には松に木の手入れは毎日やっている。
名木、諸々の松はおよそ千本以上もあるらしい。
一本の松の手入れをやるには二年に一度しか順が回ってこないという。


          


 とある家を通りかかると、剪定をされた松の枝が上から降ってきた。
次の枝に移ったとき、大息をつきながら、遠くに光る海をみて小休憩をしていた。

     芋茎 (ずいき)

        


        🐇      ずいき干す母現れさうな山家かな


  芋茎(ずいき)は里芋の茎のこと。
生ものは茹でて酢味噌あえにして食べる。好物だ。
乾燥したものは水で戻して煮つけて食べる。これも好物。
乾燥をした芋茎は道の駅などで売ってをり、見つけると買う。


 我が家は商家だからやらなかったが、近所では里芋の皮を剥き、軒下に干す作業を夜なべ仕事としてやっていたのを見ていた記憶がある。


 里山を歩いていて、軒下に芋茎を干していた家を見た。
こんな景色から甦るのは勿論、母のことである。