和傘作り
徳島県の西部に 脇町 がある。
かって 司馬遼太郎が 「街道をゆく」で紹介をしていた 藍商で栄えた町が現在は「うだつの町」といって観光地になっている。
「梲」とは、うだつが上がる上がらないと人の評価をする時に使ったりする うだつ の事であると同時に、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾を指す。 民家の両妻に屋根より一段高く設けた小屋根つきの土壁。また,これ につけた袖壁をもいう。家の格を示している。
愛商で儲けた金で建てた大きな家屋の屋根には 梲 が並んでいる。
話がそれた。
実家は隣の町で和傘を製造していた。この町とは関係はないけれど、この街を訪ねると今では「和傘の製造過程」「和傘」を、観光の目玉にしている。
それで長々とうだつの町の説明に、、、、
(この町に嫁いでいる姉の家の屋根にも梲が上がっている)
🐇 傘渋のつんと鼻つく梅雨じめり
🐇 傘に塗る漆ほどよき梅雨じめり
🐇 梅雨の部屋閉めひたすらに漆塗る
🐇 漆部屋畳三枚梅雨深し
🐇 麦こがし爺一徹の傘造り
昭和62年の投句。
一生懸命 吟行に行き、句作りに精を出していたのだろうな、、、私。
生まれた家が彷彿とする。
両親、兄姉が健在であった。
兄、姉四人の末っ子として、皆から大事にされ我儘いっぱいに幸せに育った。
今も我儘、向うみず、しかも、どうにかなるさのネアカ人間。環境が人間を作るのか?
欠陥の多い人間になってしまった。天然の極楽トンボだ。
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