よひらひらひら

自分だけの句を日記代わりに。

倉敷   etc、、、、

何年か前は五、六度、倉敷の句会におじゃまをした。


   🐢     倉敷の句会へ旅のはじめかな    葉七子


   🐢     ここちよき句会のつかれ暖房車     葉七子


観光地倉敷での句会は 町並み保存地区の中にある、倉敷市公民館で行われる。

早朝に起きて JR で倉敷まで瀬戸大橋を渡って行く。
句会が午後一時から。
それまで、倉敷町並保存地区の散策をして、句が落ちていないか探す。
露地に入ると「謡」の練習風景が垣間見える。数名の人がかしこまって座りうなっているのが外にもれてきたりする。
その頃はカメラも待たず、ブログにも手を染めていなかったのでただブラブラと歩くのみ。
それより、手芸の材料を売っているお店を覗くことが多かった。


楽しかったけれど、緊張感と疲れと家に帰り着くのが夜になる。
身体がもたなかった。ここでも身体の弱いのは悲しいことだと思いしらされた。


(廣長威彦 さんの版画を拝借)

つまし草。田芹。根芹。芹の水。芹摘。


     ☆    芹の香や摘みあらしたる道の泥    太祇


>芹を摘んだ後に漂う芹の香り。
        (日本の歳時記)から
芹をつんだ後のその辺りの踏みしだいた時についた泥ではなく、香りに焦点を当てている。こいういう鑑賞のやりかたこそが勉強になる。


     🐢    母に似て短き小指芹を摘む    葉七子


子供の頃、母と田芹を摘みに行った。
竹の笊に山のように摘んでも料理に入れると消えてしまう。
家族全員が芹が好きだった。
冷たい水の中から摘んだ芹、、、、すき焼きと決まっていた。
遊んでいても、母さんが
「芹を摘みに  い。こ。」
遊びを放っぽり出して、芹摘みに加わった。


     

春の水



春水。水の春。
冬は枯れていたり凍っていた水が、春のおとずれとともに水嵩が増して勢いよく流れ始める。水量、勢いに、ほとぼしる生命感があむれる。


    ☆    春の水とは濡れているみずのこと    長谷川櫂


> 濡れ濡れと水面が照り耀いているのが春の水の本質。
              (日本の歳時記)より


最初に、この句を読んだときは、しっかりと意味を解することができなかった。
正直に難しい句と思った。
何度も、何度も機会のあるごとに口の中でこの句をころがしているうちにうすらぼんやりと、そうだ春の水は立っている、動いている、躍動をしている、こぞりて前に進もう流れに乗ろうとしているような情景が見えるような気がしはじめた。



     🐢    春の水一筋蓮田動き初め     葉七子


蓮田に一筋の水の流れを発見した。
ちょろちょとと音をたてている。
栗林公園での吟行でさずかった。
小流れの川と蓮田は道を隔て隣あっている。川は青い空を反射してキラキラと光りながら、流れていた。


     ★    真っ青な春水を張る蓮田かな


冬の梅


     🐢     同行は吾が影であり冬の梅     葉七子       


     🐢    接待の飴玉三つ梅の花     葉七子


思い出の深い句である。
休んでいた俳句を再開をして、初めてこの結社で勉教をしようと決めた。
その時の初投句。
まだ 犬が生きていて、徳島県の遍路道を歩いていた。
夕べ近くなり、私と犬の影が長く、道すがらこの思いにいたった。
丸五年前になる。
可愛いかった犬は亡くなった。
今の健康は亡くなった犬と毎日の散歩て培われたと言っても過言ではない。
雪の日も台風であろうと、毎日一時間の散歩をかかさなかった。
本当の同行は犬だったかも。


イギリス生まれの写真家 「ジョニー・ハイマス」さんの梅の写真を載せさせてもらった。
お遍路さんの白装束が目に浮かんだ。

仏の座

    

仏の座。田平子。
春の七草のひとつ。
葉が蓮華の円座に似ている形からこの名前がある。


田舎に住んでいる者にとってはいつでも、どこでも道を歩けば目に入る。
小さい花であるが二、三ミリの欄の舌のような花びらが集まっている。
可愛い小花である。


   🐢   仏の座掌にのせめずるかな   葉七子


   💐   田平子に昼の三ヶ月出てをりぬ