我儘な飼い主猫の秋愁かな
寺山修司が存命であったらどんな作品を書いていただろうと、ふっとそんなことを思った。
そして、私の人生の経験の浅いことを、思う。
狭い田舎町より、ほかを知らず安穏にいきてきた。
ある意味幸せだったかもわからない。
深くは考えないことにしているが、つくづくと、寺山の一生やあの時代を思うと、さみささがこみ上げてくる。
今日も下手な俳句を作り、自己満足をしている己が哀れだ。
それ以外の楽しみがないので、諦めと憐憫をかみしめる。
しかし、底の浅い、俳句だ。
🎡 「暫」の歌舞伎看板冬近し
🎡 弁当にハ-トの田麩とプチトマト
な子の可愛いこと。
🎡 粗相する老いたる猫や木の葉髪
🎡 さもあらん色鳥七難もつと云ふ
🎡 豊年や松の木残る一里塚
な子、トイレの外におしっこをまかしてばかり。
毛をすいてやると、ぬけてぬけて、猫にも木の葉髪の季節があるとおもえば可笑しい。
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